明治維新の英傑たちの活躍を中心に人物、技術、交流など、様々な角度からとらえた楽しみ方の多い施設。映像・ジオラマ・ロボットなどで鹿児島の歴史や先人の偉業をわかりやすく紹介している。
統幕・維新に尽力した「維新の三傑」の一人、大久保利通の像。足元には暗殺された際、一緒に亡くなった馬車夫と馬もかたどられています。
江戸時代の末期に鎖国令を犯して海外留学を果たし、日本の近代化のために尽力した薩摩藩の青年藩士17人の銅像。帰国後彼らはさまざまな分野で活躍し日本の歴史を大きく転換させ、新生日本の原動力となりました。
韓使節をめぐる「征韓論」が敗れ、鹿児島へ帰郷した西郷は、自邸に引きこもり晴耕雨読の日々を送りました。屋敷は西南戦争で焼け、その後弟の従道によって再建されましたが、現在は西郷公園となり、井戸だけが、当時のままひっそりと残されています。西郷と庄内藩の菅実秀の会見の像は、両翁が親睦を深め「徳の交わり」を誓い合ったことを記念して製作されました。
西郷が29歳のとき、安政2年(1855)に加治屋町の生家を売り払い、ここに移り住みました。1866年に坂本龍馬が妻・お龍と新婚旅行に訪れた際もこの屋敷に滞在しました。現在は共研公園内に記念碑があるのみです。
維新の英雄、西郷隆盛は、文政10年(1827)に甲付川沿いの下級武士居住区に生まれました。
ここ加治屋町には大山巌や、村田新八、大久保利通、東郷平八郎らの生家もあり、明治維新を支え近代日本国家の樹立に携わった者達を多く輩出した場所と言えます。
江戸城無血開城や明治新政府の樹立など、明治維新に名前を残した西郷隆盛は、西南戦争で新政府軍に敗北し、城山の地で自刀しました。西郷隆盛像は西南戦争の舞台ともなった鶴丸城址近くから鹿児島の街を見守るように立っています。作者の安藤照は渋谷の「忠犬ハチ公」の作者でもあります。
大河ドラマ「篤姫」で人気を呼んだ小松帯刀(本名:小松清廉)。坂本龍馬とも親しかった小松帯刀は、近代日本建設の影の立役者でした。小松帯刀の像は鹿児島市宝山ホールの前に西郷隆盛像と向かい合うように立っています。
鹿児島の美しい海に暮らす500種類もの生きものたちの生態を余すところなく紹介する水族館「いおワールド」。『いお』は鹿児島弁で魚のこと。錦江湾と桜島が眼前に広がる素晴らしいロケーションで、時間にゆとりをもって訪れたい鹿児島観光「癒し空間」の定番スポットです。